報告1:近江八幡・和歌山黒江の旅 報告:伊東純子
洋館付き住宅の見学会に参加し始めて数回、この半年程で町並みや住宅に対する感覚が変化してきた。
建築年代もスタイルも雑多な家々が混在する住宅街の中に、何気なく洋館付き住宅は建っている。その特徴を知り、風景の中に差異を見出した時、思わずにやりと喜んでしまうのは、単純に珍しいとか古いとか洋館のデザインが可愛らしいというだけではないように思う。屋根瓦の一枚一枚、鎧戸の幾度か塗り重ねたペンキの厚み、庭木の大らかな枝振り、おそらく数十年という歳月を越えてきた風格に、居住者が過ごしてきた時間・思い出が折り重なり、辺りの空気を只ならぬ
ものにしているのだろう。
今回の旅行でも見るもの全てが十分に古く歴史が有り、圧倒された。そして何より地元の方々の建造物・町並み保存への強烈な熱意と郷土への深い愛情に感銘した。
近江八幡では、着いて早々の近江牛のお座敷には恐縮したが「一粒の会」の方々の熱弁に、まだヴォーリズ建築を見る前からその偉業に納得してしまった。
そして翌日、駆け足で見学したヴォーリズ作品群はどれもシンプルで美しく、西洋的な魅力たっぷりで、当時の人々が洋風建築にどんなに驚き憧れ、未来への希望を感じたことだろうと思った。そして、収納から窓の開閉方法まで、実は日本の気候風土を十分に考慮した機能的な設計であったことにも驚かされた。
見ているとどこかしら懐かしいような気がしたのは、中学・高校を過ごした学校校舎(既に改築されてしまったが教会の雰囲気のある近代建築だった)に似ていたからだろう。おそらく、ヴォーリズの影響下に設計されたのではないだろうか。6年間の学校生活の思い出には、どの場面
にもあの校舎が欠かすことの出来ない要素であることに、今さらながら気付かされた。記憶の中に階段の手すりのカーブや教室のドアノブ、窓枠の大きさなどが確かに残っているのだ。「何処」で過ごすかということは無意識の内に、空間意識や関係性の概念を形成していくのかもしれない。
一方、黒江では静かでのんびりした町並みと「黒江ワイワイ連絡協議会」の混迷した姿に、一筋縄ではいかない伝統や町の体質の難しさを感じた。
町づくりとは、保存なのか変化なのか、維持なのか発見なのか。町の「良さ」とは一体何処にあるのか。このテーマは今後の洋館付き住宅の会でも、全国各所でブームの町づくり活動でも常に問題とされることだろう。生活に密接しているからこそ、実は簡単に面
白がったり、珍しがったりせずに、ゆっくりじっくり考えなくてはならないことなのかも知れない。兎角、幼稚で可愛らしいものに夢中になってしまう日本人が、町づくり活動を通
して「何か」を本当に見付けられたら、もう少し希望の持てる社会になるかもしれない。
本当に貴重な体験をさせて頂いた。案内して下さった方々に感謝したい。有難うございました。
一粒の会の本拠地「旧八幡郵便局」と古い町並み(ともに近江八幡市) |